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自分が変われば周りも変わる。そう信じて

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こんにちは! 研究員の鎌田です。僕らの仕事vol.04は、文京区小石川にある青いナポリで店長として働く岸本さん(以下、岸本店長)。プランナーの働き方、他スタッフへの理解など一般営業との兼ね合いが課題になってしまうこともあるレストランウェディング。青いナポリでは岸本店長赴任から店舗の強いコンテンツとしてウェディングを育ててきました。昨対比をはるかに超える数字をしっかり出すことができた青いナポリ。岸本店長が目指す形とは?

店長としてウェディングと向き合うこと

岸本 青いナポリに来るまではウェディングって関わり辛いなって正直思ってました。

想像以上にストレートな言葉から話しだした岸本店長。青いナポリの店長に赴任する前もガーブ東京Cialo y Rioなど、レストランウェディングに力を入れる店舗にも関わってきました。しかし、どこかで「これはプランナーの仕事」と思ってしまう感覚があり積極的には携わることはできなかったそう

岸本 ウェディングやっている店舗、難しいよなぁってつい考えてしまうんですよね。でも何が難しいって、何も知らないから難しいと思うんやないかって考えたんです。知らないから踏み込める勇気がなかった。

青いナポリに店長として赴任すると、岸本店長はウェディングについて今まで以上に考えました。

岸本 ウェディングって新郎新婦さんと話したり、施行会社と打ち合わせをしたり、それはプランナーの仕事やと思うんです。でも、店舗でやってることやないですか。自分はここの店長やから店舗で起こり得ることって絶対知らなあかんよな!って思ったんです。そこからいろんな人にウェディングについて教えてもらいましたね。青いナポリの村山シェフは以前の職場で年間200件くらいウェディングやられてたから、何度もウェディングってこういうもんやって話してもらいました。本当にその意味わかってんのか? って根本のところから教えてもらったのは大きいです。

株式会社バルニバービウィルワークス 取締役 / 青いナポリ 店長 岸本慧 2010年 バルニバービ入社。ガーブ東京にて1年アルバイト、その後社員となりシエロイリオに異動。一般営業を中心とし日々働いていました。2014年12月アダッキオに異動。翌年5月店長代理、同年10月店長就任。2016年3月青いナポリ配属。2017年8月、株式会社バルニバービウィルワークス取締役就任。

青いナポリのウェディングをより良いものにする。そう決めた岸本店長はすぐに動き出します。他店が行うレストランウェディングの打ち出し方を研究。40冊を超えるパンフレットを取り寄せ何年も変えていなかった店のパンフレットをリニューアルすることから始めました。今の青いナポリのウェディングの良さを伝えるためにはどうしたらいいのか。プランナー、シェフと話し合いを重ねました。今では音響などに岸本店長自ら入るなど、今まで出せなかった一歩を力強く踏み込んでいきました。

岸本 ウェディング当日も僕は極力プランナーと同じ感覚でタイムスケジュールをしっかり把握して、何を聞かれてもわかるようにしておきたいんです。やっぱり店長として自分が把握してなければ、会全体の完成度も低くなるんじゃないか思うんです。

岸本店長は今月ウェディングの二次会をプランナーとして担当しています。

岸本 例えばね、プランナー不在の時に新規でウェディングしたいですって青いナポリに来てくださったとする。普通だったらプランナーから折り返させますって言うやないですか? でも、店長おるのにわかりませんって言われたらお客さんなんやねん!って思うんじゃないかな。この店のことわかってないの? 店長やのに?って店の評価も下げてしまう。せっかく来てもらったのにプランナーがいない、でも店長が話を聞いてくれる。自分がお客さんだったらいいなぁと感じると思うんですよね。信頼にきっと繋がる。それからね、プランナーの気持ちを理解するためには、自分が一回担当してみるのが一番わかるなって思ったんです。つらさやしんどさ、そして楽しさもね。

自ら変わることに邁進する

岸本店長のバルニバービストーリーはガーブ東京から始まります。進路を悩んでいた頃紹介でアルバイトとして入社したガーブ東京

岸本 なんやここかっこいい!って思いました。お店の雰囲気も働いてる人もかっこよかった。その時に、よし腹決めて飲食でやっていこうって決めたんです。

その後、Cielo y Rio(以下、シエロ)に配属に。シエロでは各スタッフのポジションや休憩を回すなど、主に営業全般を仕切っていました。

岸本 スタッフの動かし方っていうのはすごく勉強できました。でも、今思えば自分の考え方とか全然イケてなかったなって思います(笑)。変わったのはAD’ACCHIO(以下、アダッキオ)からですね。自分でもわかるくらい変わりました。

アダッキオはバルニバービの中でもバッドロケーション戦略の代表的な店舗です。足立区のADACHIと青いナポリを立ち上げたピッツァイオーロ 岡田智至のOKADAを合わせて名付けられたAD’ACCHIO。岸本店長の元に配属の話がきたのはアダッキオオープン2週間前のことでした。

岸本 当時、僕はアダッキオの立ち上げには関わっていなかったんです。ただオープン間近になって店長を務めるはずだった方が事情があり外れることになった。その時声をかけてもらいました。でも、アダッキオに行ったら知らない土地、初めましてのスタッフたち。それも、バッドロケーション。正直、シエロを出るのは怖かった。

悩んだ岸本店長でしたが、様々な方に背を押してもらいアダッキオへ。ここでも岸本店長は「全部知ろうと思った」と話します。

岸本 数字のこともそうやし、スタッフのことも。シフトも作ったことはなかったけど、やれることは全部やろう。岡田さんのお店ではあるけれど、自分もこのお店をもっともっと面白くしたい! 岡田さんと対等に話すには全部知った上でしっかり力をつけないといけないなと思ったんです。

岸本店長は知ることと同時に自分を知ってもらうことにも力を入れました。会社に送る日報とは別にアルバイトに1~2ヶ月ほど日報を送っていました。「今日ここができてたね、ここができなかったね。じゃぁこうやってできるようにしていこうな。明日も頑張ろうな!」。スタッフたちとの絆を強くすることでみんなでお店を盛り立てることができる。

岸本 自分よりも店舗のことを考えていましたね。アダッキオは自分にとって特別な場所。すごく成長させてもらえました。今でもアダッキオに行くと安心してなのか、少し泣きそうになるんです(笑)

店長という仕事

アダッキオで大きく成長した後抜擢されたのは、青いナポリの店長でした。地域に愛され、すでにお店として積み重ねた歴史がある店。立ち上げとはまた違うプレッシャーの中で岸本店長は“店長”という仕事について向き合いました。しかし懸命に働き続けた結果、身体を壊してしまったのです。

岸本 歴史ある店で、自分には何ができるだろうって考えて、とにかく自分は動き続けようって考えたんです。その結果、自分の身体を酷使してしまった。一カ月お店から離脱してしまいました。シフトにも穴を開けるし、迷惑をかけてしまった。正直その時は申し訳なくて、迷惑かけたっていう気持ちとこのまま逃げたいって気持ちを感じていました。

身体を壊したことで岸本店長は“働き方”と向き合うようになります。

岸本 自分がどう変わらなきゃいけないのかすごく考えました。お店の管理能力=自分の管理能力って考えて、自分がダメになるってことはお店がダメになる。一番大事な時にいいパフォーマンスができるようにどう働いたらいいのか、スタッフにどう働いてもらったらいいのか。戻ってからはそういった考えが生まれていきました。

誰かが無理して営業を続けることに本当に意味があるのか。飲食は辛いというイメージがどうしても先行してしまう業界です。けれど、最高のサービスは最高の状態の中でしか生まれません。最高の状態をつくるために店長としてできることは何なのか。岸本店長にとって店長という仕事とは?

岸本 お店と仲間の力を見出す人物。店を任される、人を雇うってそういうことやと思う。だからまずは自分が変わらないといけない。自分がいきいき働いていればきっと見ていてくれている子の考え方も視野も変わってくると思うんです。

だからこそ岸本店長は「まずやってみよう」と動き出します。わからないのなら知るところから。知識だけではなく経験として知ることで、さらにスタッフたちを理解することができる。最後に岸本店長になりたい自分について聞きました。

岸本 僕はバルニバービに入って人生変わったと本気で思ってるんです。会社に入って、こういう素晴らしい仕事に出会えた。人生の転機を作ってきてもらったので、バルニバービは僕にとって宝物です。だから、僕の今後は会社がさらに成長する軸としていたいっていうのと、がむしゃらに進む姿勢を忘れずにいたいです。とはいえ自分もまだまだ発展途中。指摘されて初めて知ることやわかることも沢山あります。やれること、やるべきことを分別して足元見て進んでいきます!

WRITER 鎌田智春

こんにちは!&初めまして、鎌田です! Webチームで既存サイトの改修などを行なっています。ご飯が大好きでぶくぶく太ったので、最近は1日1万歩を目指して歩いています(ウォーキングマシーン)。最近覚えた呪文は「始まれば終わる」。何事もコツコツと取り組んでいきたいと思います!