STORY
そう!『お客様の笑顔を見たいのだ!』
眠りに着く前に…
この12月(2014年当時)、足立区に二軒、新店をオープンします。東京の中心エリア港区や千代田区を活動場所にされている方には「一体どこそれ?」「ガラが悪いんじゃないの?」「暴走族多い?」あげくの果てには『何故そんなトコロに出店するの?』と。
確かに20年以上前ならその一部は当たっていたかも!?しれないけど、現在の足立区は違うんだよ!
とはいえ街の魅力やこれからの可能性は開店後のお楽しみに回して…
19年前にオープンした我々の一号店アマーク・ド・パラディは僕たちの原点、この5年で倍の規模になってしまった僕たちの会社はどこかで道を間違えたり、勘違いを起こしてはいないだろうか?
今このタイミングで振り返り、原点の思いを確認したくなった僕は、足立の現場に1人何時間も佇んだ、そして街を歩き倒した。何時間歩いたことだろう、北千住そして日光街道…。ふと気づくと僕はあの日の「希望と情熱だけを頼りにした34歳、手ぶらのチャレンジャー」に戻っていた。倉庫だった物件を解体しセメントを塗りペンキを調色する、作りながら考え、再び刷毛を動かす。夜を徹するなんて当たり前、昼間なのか夜なのかも分からなくなっていた。けれどその作業一つ一つで、お客様に近づくようで、お客様の笑顔を引き寄せられるようで。
お金をはない、経験もない、シェフは未だ見つからない、不安というなら全てが不安。そして全てが輝き、そんな中でに日に日店の溢れるお客様の映像は僕の胸の中で鮮明になっていく。
店に響く笑い声、スタッフのきびきびした動き。ナイフ、フォークと食器の触れあう音、そしてなにより、溢れる笑顔・笑顔・笑顔。それが全ての始まりで、それでいて全てだった。それ以外に僕たちの目指すべきものは一体全体あるのだろうか?
そう!『お客様の笑顔を見たいのだ!』
やはり僕の原点はそこへの思い以外何ものでもなかった。19年前の青雲の志は、「笑顔の溢れる飲食店」「幸せ溢れるご飯屋さん」。そして53歳の中年となった僕は今、足立のプロジェクトで築40数年蕎麦屋後であの日の思いのまま、再びペンキを塗っている。もう一度、あの時の思いを胸に、日々作業を行っている。めっきり増えた白髪と明らかに落ちた体力・視力に戸惑いながらも作業着に袖を通す。胸に浮かぶ思いが19年間全く変わらないことに苦笑いと覚悟を身に纏いながら…。
こんな足立プロジェクトまもなくお目見えです。
WRITER 佐藤 裕久
京都市上京区生まれ。神戸市外国語大学英米語学科中退、1991年 バルニバービ設立、代表取締役に就任。現在、東京・大阪をはじめ全国に90店舗(2021年1月末時点)のレストラン・カフェやスイーツショップを展開。著書に『一杯のカフェの力を信じますか?』(河出書房新社)『日本一カフェで街を変える男』(グラフ社)がある。