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自分の得意なことでなりたい自分になろう!株式会社バルニバービコンシスタンス 代表取締役 藤波 幸生

自分の得意なことでなりたい自分になろう!株式会社バルニバービコンシスタンス 代表取締役 藤波 幸生

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株式会社バルニバービコンシスタンス 代表取締役 藤波 幸生 「僕は普通の人間です。佐藤社長と同じことはできません」 藤波の率いるバルニバービコンシスタンス(BCO)。社名は「一貫性のあるスタイル」を意味する造語で、中島常務が藤波をイメージして名付けたという。「社長になって変わらなくてはいけない事もありますが、これまでの自分を大きく変える必要はないと思っています」と語る藤波に店舗や組織での役割や人材の活かし方についての考えを聞いた。

海外で見つけた自分のスタイル

高校時代は野球部に所属。後輩にレギュラーを奪われキャプテンで補欠。 「先生や先輩からはあまり好かれないけど、後輩からは慕われるタイプでした(笑)」。大学に進学して将来のことを考えたとき、漠然と海外で仕事がしたいと思った。それならばと就職活動をせずにバイトで資金を貯めワーキングホリデーで渡豪。「完全な英語環境にするためファームステイを選びました。でも元々動物にも農業にも全く興味がなかったので辛くて2週間で逃げました」英語学校に通い直すも先生に「話せるようになりたかったら働きなさい!」といわれ働き先を探した。30件程回ったが雇ってくれる所はなかった。先生に報告すると「当たり前だ。もう1回いけ!」といわれ、同じ店を再度回った。とあるレストランが見かねて採用してくれた。それから同じ手法で働き先を変えながら、1年半程の期間、海外のレストランやホテルで働く。「この時の経験が後のバルニバービ入社にも繋がっています」

きっかけは「1杯のカフェの力を信じますか?」

「海外で働き続けることも考えましたが、日本も好きだし、1回戻って考えようと帰国しました」 海外で接客業にやりがいを見いだし、とある飲食企業に就職。横浜の店舗で5年程務めたが「東京で働きたいと思って」転職を考える。業界紙をみていたところ、たまたま佐藤社長の記事が掲載されていた。「面白い人がいるなと思った。そこに本を出したと書いてあったので買ってみたらよかったんです。それが『1杯のカフェの力を信じますか?』でした。当時、バルニバービは東京出店の間もないころで、関東の店舗は、東京タワー前のピンティーノ、丸の内GARB、代々木の本家かのや、横浜スミレだけでした」その中で、馴染みはなかったが「丸の内」というエリアに魅かれた。 「いってみたら場所とか店のサイズ感とか業態とか、そのときの僕の理想にめちゃくちゃ近かった。しかもオープンしてまだ半年ぐらいで全然入り込めそうだし、ここで働きたいなと思って、飛び込みで電話しました。面接で佐藤社長から『やりたきゃやればいいじゃん』といわれて入社を決めました(笑)」

ピンティーノでくすぶっていた日々

「すぐに丸の内配属にはならず、ピンティーノで3か月研修してからといわれました。当時ピンティーノは店として成熟し始めていた頃で、スタースタッフ達が集められていました。ただその分、みんな個が強くスタンドプレーが目立つように感じました。野球をやっていたこともあり、チームとしての力に欠けると感じてしまったのです。 今思えば、それが魅力であり合わせることが求められていたのですが、自分はスタータイプではなかったのでそれも出来ず、批判ばかりしていました。それでパフォーマンスが発揮されることもなく、社長からも『そんなんで丸の内いってもしゃーないわ!』って言われ続けて、結局半年ピンティーノにいました。その間100回ぐらい辞めようと思いました。やっぱりこの会社合わねぇーなって(笑)」

スミレで自分を取り戻す

その頃、スミレの店長が大阪に戻ることになり、引き継ぎの店長が必要になる。 「元々東京で働きたいからバルニバービに入ったので横浜に戻りたくはなかったです。でも、イチスタッフとしてピンティーノにいるよりも店長として働いて実績を作り上げた方がよいと思い、志願してスミレにいきました。そうしたら、やっぱりよかったんですね。自分の強みを活かすことができました」 そのまま横浜での勤務が続くと思われた矢先、突然声がかかる。 「丸の内の状態がよくないからすぐにいけといわれました。期せずして店長として丸の内GARBの配属となったのです」

丸の内GARBで強みを広げる

「スタッフがお客様に向いていませんでした。そんな状態だったのでひとり一人と話して、やる気のないスタッフには辞めてもらったり、僕の下では働けないと自ら辞めて行ったり、結果4分の3のスタッフが辞めていきました。あの時の辛さは今でも忘れません」 それから半年かけて立て直しを図った。 「その期間、佐藤社長が猶予をくれて任せてもらえました。それが大きかったと思います」 丸の内は徐々に輝きを取り戻す。 「個々の資質を見ることから始めて、役割を与え伸ばしていきました。こうした現場でのスタッフの育成が僕の強みだと思っています。また丸の内は人材育成しやすい店舗です。ここで代理店長という制度を始めて店を任せるようになり、僕自身は他の店舗との関わりを増やしていくようになりました」

資質の見極めと人材の育成

「向いていないことをさせること程、罪なことはないと思います。仮にその人がやりたいことでもその資質がないと思えば、諭して別な道に導いてあげることも必要です」 チェーン店ではない店長には特に資質と感覚的なものが求められる。 「店長によってスタッフの生きる生きないが決まる。見極めに関しては僕も最初から出来ていた訳ではありません。間違った導きでスタッフを傷付けてしまったことも多々ありました。そうした経験を経て今の自分があります。その僕がバルニバービグループという組織の中で果たすべき役割は『育成ができる人材の育成』であると認識しています。これから出店が続く関東ではその育成のスピードアップが急務となります」

これからのスタッフたち

育成の話になった流れで紹介したいスタッフがいるという。 「今年新卒で入社した二人、有楽町skew所属の押田麻衣子さんです。新卒は女子比率が高いこともあり、女性がより責任ある立場にたつ可能性が広がっていく中で、押田さんは資質も含めてそのプロセスに入っている存在です。まだまだこれからですが、バルニバービでそれぞれの資質を活かしたポジションを築いていけるよう、活躍を見守ってあげてください!」

なりたい自分になるために

「バルニバービグループの店舗の在り方は様々なので、最終的に自分がやっていきたいこと(なりたい自分)に繋がりやすいと思います。また、最初からやりたい事を決めて入って来たとしても変わるかもしれません。サービスで入って来ても料理がやりたくなるかもしれない。ウェディングをやりたくなるかもしれない。その時、小さな組織だったらやりたい事をやるために辞めるという選択肢しかありません。その点、バルニバービは基本的に飲食に伴っていれば何でもできるし『なければ自分でつくれば?』といってくれる佐藤社長がいます。なりたい自分になってもらうための土台は用意されています。そこに参加する条件があるとすれば『違いを受け入れること』『感謝の気持ちを忘れないこと』そのうえで自分にできることを目一杯やるだけです」 「ピンティーノはわかりやすいスター集団だった。でも、実際は僕も含めてそうではないスタッフの方が多い。僕みたいな地味な奴らでも得意分野を活かして、チームとして機能することで、個人の力だけではなし得ない大きな目標を達成できることをこの会社で知ってもらいたいと考えています」  
株式会社バルニバービコンシスタンス 代表取締役 藤波 幸生 2007年バルニバービに入社。GARB pintino、スミレ勤務を経て、丸の内GARBの店長就任。関東を拠点にサービスマンとして現場に立ちながら人事を担当。2011年、株式会社バルニバービ執行役員就任。2014年、株式会社バルニバービコンシスタンス 代表取締役に就任。

WRITER BALNIBARBI GROUP

バルニバービグループで食を通して「なりたい自分」を体現している仲間、「なりたい自分」を邁進している仲間、「なりたい自分」を見つけようとしている仲間のリアルな今の思いや、食に通ずる情報を発信していきます。 お店の業態は違っても、「ライフスタイルに自然に溶け込む地域に根ざした店づくり」というコンセプトは同じ。 その想いに沿ったどこにもない価値を提供しています。 「道のある所に店を出すのではなく、店を出した後にお客様のくる道が出来る」 それが私たちの目指す姿です。