結論から言ってしまうと「センス」は、「デザイン」と同じように、会話の文脈や使われ方によって意味が変わります。そのために「才能、感覚、感性」といった言葉と混同されてしまい、「センス」が「生まれ持った資質」のように扱われることがよく見られます。
確かにそれもあるのですが、「センス」は生まれ持った資質に限られるものではありません。自分にセンスがないことを「才能や感覚の違いだからどうしようもない」と決めつけてはいませんか? でも「センス」は後から獲得できる能力なのです。
なぜなら「センス」の正体は「よし悪しの判断基準」だからです。
そして「判断基準」は、知識と経験で作られます。
センスは判断基準?
「センスがよい」「センスがある」というのは、「よし悪しを判断する基準を持っている」ということに置き換えられます。アートディレクターの水野学さんは、著作の「センスは知識からはじまる」の中で下記のように定義されています。
「センスのよさ」とは数値化できない事象のよし悪しを判断し、最適化する能力である。 おしゃれもかっこよさもかわいらしさも、数値化できません。
しかしそのシーン、そのとき一緒にいる人、自分の個性に合わせて服装の良し悪しを判断し
最適化することはできます。それを「かっこいい、センスがいい」というのです。
出典元:センスは知識からはじまる | 著者:水野学
水野さんは「数値化できない事象のよし悪し」を、自分の中にある基準を元に判断して、最も適している状態にする行為が「センス」と位置付けています。「適しているかどうか?」を判断するために、照らし合わせる基準が必要となるのです。その基準の源は「知識」と「経験」であると述べています。
「最適化」の目的は、相手に「好ましい感情」を呼び起こすことです。ファッションを例にすると、周りから「ファッションセンスがよい」と認められる人は、大小の差はあっても、概ね次の項目を複数で満たしています。
・流行を取り入れている。(タイムリーであることの良さ)
・定番を知っている。(流行に左右されない良さ)
・古典を知っている。(時代を超えた良さ)
・自分はどんなファッションが似合うかを知っている。
・他人や場に求められるファッションを理解している。
・ファッションのルールを知っている。(基本・王道を知っている)
・ファッションのルールを破ることができる。(既成の枠にとわられない)
・その人らしさ、オリジナリティがある。(差別化できている)
ファッション誌に掲載されているスタイリングやセンスが良い人のファッションをそのまま真似しても、「センスいいね!」とならない場合は、そのファッションが似合っていなかったり、その場に合ってなかったり、何かを選び損ねているせいで「失敗している」のです。しかし、失敗することで改善が進み、経験が蓄積されて失敗の確率を下げることができます。そのため知識のインプットだけでなく、アウトプット(経験)も必要なのです。
そして、最適化させるためには、対象となる人の「センスレベル」に合わせることも必要です。「センスがいい」という「好ましい感情」を呼び起こすには「理解・共感」が必要です。相手の「センスレベル」があまりにもかけ離れていると「理解・共感ができない」、つまり「そのセンスの良し悪しがわからない=センスない」ということになります。ややこしいですが、センスのレベルをコントロールすることもセンスが必要なのです。
才能・感覚・感性との違いは?
ちなみに「才能」は、「適性」です。適性は「ある物事に適している性質や能力」であり、生まれ持つき備えているものです。センスは後天的に獲得できる能力です。つまり才能ではありません。
センスの理解をややこしくしているのは「感覚」です。
「感覚」を英語に翻訳したときに、これも文脈によって変わってしまいますが「feeling(フィーリング)」や「sense(センス)」と訳されます。
「sense」は、触覚、聴覚、視覚、味覚、嗅覚といった五感を「the five senses」と表すことからも、主に感覚器官を表しています。五感を超えた第六感を意味する「シックス・センス」というタイトルの映画がありましたね。
「feeling」も「感覚」なんですが、「sense」に比べて曖昧な印象があります。主に触覚で得た情報を感情に結びつけるイメージです。「feel」には「触れて知る」という意味があるからだと思います。尚「sense」の語源は、ラテン語の「sentire(感じる)」で、それはイコール「feel」です。
そして、感覚から生じた意識や知覚を感情に結びつける「感じ取る力」が「感性」であり「感受性」なのです。厳密にいうと「感性」と「感受性」は異なるのですが、本題から外れてしまうのでここでは省略します。
また、スポーツや音楽など「きみはセンスがいい」といった表現をしますが、これは「筋(スジ)がいい」ということに置き換えられます。この場合の「スジがいい」は、「その才能や見込みがある」「感覚や感性が優れている」という意味です。よく混同されてしまうので、センスが才能や感覚・感性に限った話のように受け取られてしまうのだと思います。
繰り返しになりますが、水野学さんが定義されている「センス」は、
「数値化できない事象のよし悪し」を「知識と経験(=情報・経験を通じて得られた理解)」で作られた「判断基準」に照らし合わせて「最も適している状態にできる能力」です。
だから「センス」は、知識・経験と技術が組み合わさった機能なのです。
機能ですから「役に立つかどうか?」がセンスそのものの価値の判断基準であり、感覚や感性のように、主観で判断されるものではないのです。
「センス」は論理的なものであり、説明ができるものです。
では「センス」は、どうやって身につければよいのでしょうか?
BALNIBARBI DESIGN WORKS
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WRITER 石合裕樹
バルニバービ企画本部にてグラフィックデザイン&撮影担当。料理人の父の影響を受けずにグラフィックデザイナーになるも、やっぱり食に関わることに。デザイナーだけでなく、料理人やお店のスタッフ、あらゆる人がデザインの力を日々の仕事に活用できるように伝えていきます。