まず初めに『地方』とは何を指しているのでしょう?
把握しているようで実は曖昧な理解となっているのではないでしょうか?
『都会』の対語としての『それ以外の地域・・・地方=田舎』
『首都圏の中心部』と『それ以外の地域』
『大都市・県庁舎在地・政令指定都市』と『それ以外の地域』
一般的にこの『それ以外の地域』をどうやら『地方』と規定しているようです。
そしてそれは何となく
都会は優れていて地方(田舎)は劣ってる
都会は先進的で地方(田舎)は後退的である
都会はお洒落で地方(田舎)はセンスが悪い
都会は賑わいがあり地方(田舎)は閑散としている
という認識につながり、だからこそ『地方カテゴリーエリア生活者』にとって
『地方』と言われると「何だか見下されているようで不愉快だ」という構図となってしまいます。
あゝなんてこと!!
『都会優位論という認識は時代遅れの間違ったものとなっている』と僕は考えています。
だからと言って地方優位論でもないんです。
まだまだ収束の見えないコロナ禍において強いられる様々な規制にどうにかこうにか対応する中で、我々の暮らし方・生き方のレンジを広げる選択肢・オプションが意図しない形で沢山生まれたり、気づかされたりしてきています。
その中で『地方』も重要なそして優れた選肢の一つとなっているという認識なのです。
僕がこれから始めるコラムはこの『都会優位論という認識は時代遅れの間違ったものなのだ』
ということを大前提としてお読みいただきたいのです。(検証はコラムの中で行っていきます)
その中で地方という言葉がむしろ誇りにつながる呼称となりうると考えています。
つまりその地方の歴史や風土・文化に根ざした独自性をさらに磨き上げることにより
地方という単語が『一般普通名詞の劣位ワードとしての地方=田舎』ではなく、
『独自の豊かな様々な文化を持つ〇〇地方』というスペシャルな立場を表す固有名詞へと昇華するのだという認識です。
そしてむしろそこには憧れや希望をも生まれるのだと。
『劣って遅れている地方というエリアを優れている都会というエリアのようにしたい』
などという馬鹿げた認識は今すぐ捨ててください。
今こそ気づき・歩み始める時がきているのです。
独自であることこそこれからの生き方なのです。
そんな地方創生・僕の思いの発信がいよいよ始めます。