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『何故今 地方創生を佐藤は口にするのか? これからの時代、心豊かに暮らすためのささやかな提言』 第四回

『何故今 地方創生を佐藤は口にするのか?
これからの時代、心豊かに暮らすためのささやかな提言』
第四回

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三度目の緊急事態宣言が本日から。この連載火曜日なんですが2日前倒し(4月25日)で投稿します。

我々の店舗もアルコールの提供中止と時短、商業施設に入っている約20店舗以上は休業という事態。というより、国全体の働く人々と多くの産業が苦境にさらされています。

ここで皆さんに問いかけたいんですが、これらの対応や動きはみなさんが望んだ形ですか?本当に国民を守るためのものだと思いますか?このままでは国民は得体の知れない泥沼に持って行かれ、沈んで行かないですか?補償すると言っても、もうその力は国に残っていないのではないですか?全て根拠のない(ように見える)紙切れを刷った国債で賄うのですか?そしてその返済原資はどこにありますか?

僕も多くの政治家や官吏に知り合いはいます。そしてそのほとんどは職務や職責に忠実で懸命です。だからと言ってそれでいいということではありませんよね?我々国民はこのまま国に身を委ねて任せっきりでいいんですか? 愚痴を言いっぱなしだけでいいんですか?誰かのせいにし続けていていいんですか?

それは絶対に違うはずだ!! 

総理が悪いだの知事が悪いだのと言い続けて、何の意味があるんですか?彼らは誰よりも懸命に、寝る時間もなくほとんど休暇も取らずこの国難に(多分)立ち向かってくれているはずです(少なくともそう僕は信じています)。それでもこういう段取りにしかならないと今回我々が理解したのなら自ら動き出しませんか?

この国のそして自治体の統治システムがこの程度だからと言って我々が愚痴、嘆きで時を過ごすのではなく自ら動き出しませんか? 
今その時が来ています。

どうしていいかわからない???そんなあなたのため僕はこのブログを書いているのです(笑)。

僕は今、覚悟して動いています。

多分このままではこの国の未来は全体論でいうと不安でしかないと思います。そのことを今回のコロナという出来事は露見させました。ここまで死者が少ない伝染病でも実際の医療現場・コロナ対応病床の逼迫による医療崩壊は事実なのでしょう(と医療サイドは言っています)。但しそれに対し一年もかけて検証してきた上での対応(感染検査システム、病床確保やワクチン接種システム)がこの程度にしかできない国家システムなのだということを認識しましょう。感染者数は医療専門家が行っていた負の予測の十分範囲内ですよ。それすら一年かけて対応できない程度の安全保障状況と、それに対応しきれなかった僕自身も含め国民自身がそのレベルなのだという認識をした上で、そこにとどまるのではなく、我々自身で考え未来に思いを込め、子供達やこれから生まれてくる命を思い歩み出しませんか?

こんな状態で例えば近隣国との国際紛争に端を発したような有事に対応ができると思いますか?このコロナ対策のようにズルズルと決断を先延ばしにし、またあの不幸な大戦のように若者たちを戦場に送り込むのですか?

絶対にそんなことがあってはならない。けれど思えば思うほど諦めしか無くなる・・・・

それでもなお僕はこの国を諦めないですし、未来に風前の灯火だろうけれど希望を持っています。諦めてなるものか!

そしてその希望の一つに地方創生を僕は位置付けています。

連載第三回目の前回、2020東京オリンピック決定を契機に日本全国を回り日本探訪を始めた最中、淡路島を語るパソナ南部代表の講演を聴講し、胸騒ぎがしたところで話を終えました。
より加速させ綴っていきます。

僕の胸騒ぎ・・・大学入学以来、東京に居を移すまでの25年間を神戸で過ごした僕にとってすら近くて遠い淡路島・・・。
1998年明石海峡大橋開通以降は神戸市内中心部から車で30分もあればたどり着けるにもかかわらず、余程のことがなければ行くことはなかった。そんな僕の中でもほとんど忘れてしまっていたと言ってもよい淡路島の魅力・可能性を代表は話されました。

『まずは島に行って現地を見てみよう。』
パソナの廃校を活用した施設を訪れたのはそれからほどない頃でした。

そしてそこ(島内)で行われていた活動の中にまさしく僕が思い描いていた地方創生の一つの形、新しい生き方の魅力的なオプションを見つけました。(第一回目で書きましたが、これからの時代は多様性の中にあるからこそ面白いと考えていますので、あくまでも選択肢の"一つ"であるという認識をお持ちください。)

農業(生産)・調理加工・販売・飲食店舗運営等の勤務(業務)終了後には演劇活動やアート活動を行う全国各地から島にやってきた若者たちの寮での生活・・・
そこには産業や事業という経済活動だけでは語れない『島での生活』『人々の暮らし』があったのです。
それこそ多様性を内包した生き方の垣間。
その日、僕は淡路島に僕の思い描くフィールド(土地)を探そうと胸に期したのです。

WRITER 佐藤 裕久

京都市上京区生まれ。神戸市外国語大学英米語学科中退、1991年 バルニバービ設立、代表取締役に就任。現在、東京・大阪をはじめ全国に90店舗(2021年1月末時点)のレストラン・カフェやスイーツショップを展開。著書に『一杯のカフェの力を信じますか?』(河出書房新社)『日本一カフェで街を変える男』(グラフ社)がある。